いやなおんな ブログ 頭の悪い奴は大嫌いなのにバカな年下は可愛いという性癖は別に矛盾してないもんっ! 忍者ブログ
ブログです。
あ、タイトルと中身は関係ないです。
頭の良いバカな年下可愛いよねっていうアレ。

あとわたしの恋愛/性的対象としては頭の良い男女年齢不問(容姿はある程度問う)ですね。でもキレ者の女性って美しく見えるからあんまり容姿関係ないかもしれない女性の場合。


大事なお知らせカテゴリになっていますが、ただのわたしの人生の話です。読む必要は一切ありません。




 さて、この記事の日付はわたしの『最悪でもこの日までには死んでおきたい日』です。
 正直わたしには長生きする理由がありません。手早くやりたいことをやって、大学生活でこさえた(こさえている)ツケを払って、とっととおさらばしたいのです。
 そりゃあ、母親と自分の生命を天秤にかけて、「生き物なら、先を往く方を生かすのが正解か」と考えて生き延びた身でそんなことを言うのは親不孝かもしれないけれど、わたし、あの子には恨み骨髄だから、許してほしいな。それにほら、わたし既にあれだし。矛盾は、しているし。
 わたしという種類の生き物は、生きていくのに向いていないのです。きっとこれからも苦しみ続け、痛み続けるでしょう。他者の迷惑にもなり続けるでしょう。それでも、意識がある状態で故意に呼吸を止め続けることに限界があるように、わたしはわたしという種類をやめられないでしょう。
 故に、早めのパブr……じゃなかった。早めに死ぬのが目標です。


 昔話を、しましょうか。させてください。
 わたしは母親と気が合わない娘でした。いえ、合いすぎていたと言ってもよいかもしれません。母子家庭、ふたりきりの家で、わたしたちは静かに病んでいきました。
 似ている部分はほんとうにそっくりな母娘でした。似ているとよく言われました。『違う』という事実が、伝わりにくい程度には。
 強いてわかりやすい違いを挙げるならば、社交性でしょうか。あの子の方がずっと社交性に優れていました。基本的にわたしは劣っていたのです。
 反面、あの子は周囲に心を閉ざしていました。わたしが中学一年生の時分、わたしの大伯母にあたる人が亡くなり、その姉妹たちが故人の悪口を言う場面であの子が嫌な思いをしてからは、尚一層。
 あの子は大恩のある伯母の、それも故人ことをやたらと悪く言うのが許せなかったのでしょう。姉妹なんて生きていても死んでいても変わらず口さがないものだろうと、わたしは思うのですけど。
 心を閉ざしたあの子が一層慕ったのは、自分の娘に抱いた幻想でした。
 幼くして母を亡くし、父にも会うことなく、自分の祖母や伯母たちの家で育ち、疎外感のようなものを覚えては社交性ばかり高くなっていったあの子にとって、直接の血のつながりというのは、特別だったのでしょう。実際、そのようなことを何度も口にしていましたから。
 わたしにはあの子に縋られるのが負担でした。あの子は自分に“近い”ものとして大層わたしを愛していましたけど、わたしに言わせれば本質はとおくとおく、ほどとおいものでしたから。
 わたしは何度も説得を試みたり、反発を示したりしました。けれど家を出ることは考えませんでした。可哀想だったのです。わたしを育てることに依存する、あの子をひとりにするのは。
 けれどその判断はあだとなりました。
 結局わたしたちは疲弊し、どちらかが死ぬまで続くチキンレースに陥りました。周りの役に立つあの子を生かすか、わたしの死を受け止めきれないあの子よりわたしを生かすかを、わたしは考え続けることになりました。そして最後には、わたしはわたしに采配を振ったのです。
 ほんとうはもっと前から、わたしはわたしを選ぶべきであったと思います。母親に、譲ってやるようなものでもなかった。
 わたしは『やさしいいきもの』でした。自分を選べない、まちがったいきものでした。


 母親を亡くして暫く後、わたしには親友ができました。少し馬鹿なところもありましたが、わたしが愛する人を、一寸似た形で大好きでいてくれるその子のことが、わたしは大好きでした。可愛くて仕方がありませんでした。
 あるときその子は「もうさよならだ」と言い出しました。わたしや周囲の人々は別れを惜しんでお別れのメッセージを書きました。ネット上の付き合いでしたから、いなくなればそれはきっとほんとうに最後なのです。
 当時の私は、ペンネームとハンドルをある程度使い分けていました。ペンネームの下の名前は、偶に一寸話してしまってはいても、正式には名乗らないようにしていたのです。大事な名前だから。違和感が拭えない本名に代えて、ほんとうの名前として、大切にするつもりだったから。
 わたしは大好きなその子への餞別に、メッセージの最後にペンネームを上下氏名フルネーム、思い切って添えました。名前欄とは別ですよ。
 果たしてその子は、存外あっさり帰って来ました。今となっては笑い話です。
 あっさり帰ってきたその子は、わたしたちの別れのメッセージを転記して、ひとつひとつ返信していきました。
 わたしは一寸こまりました。飽くまで餞別だからこそ、ほんとうの名前をあげたのですから。
 自分で管理している場所以外に書くだけでもわたしなりに大きなことだったのに、転記までされてしまって、どう取り下げを願い出たものかと悩ましかったものです。
 けれど結局、わたしはその子に何も言いませんでした。
 わたしのメッセージへの返信の最後に、その子の普段使っているハンドルがわざわざ書いてあったから。
 他の人にはそんなことしていないところを見るに、わたしに合わせたつもりだったのでしょう。
 ただでさえ一度はいなくなろうとしたその子に、わたしは言えませんでした。認識の齟齬からわたしにとって大切なものが軽んじられる形になったことを。
 そんな個人的な特別、他者に伝わるはずもない。わたしはわたしのせいで傷ついたのだ。だからあの子は知らないままでいい。そう思ってわたしは、何も言わずに、譲りました。
 それどころか寧ろ、名前など隠していなかったかのように振る舞いはじめました。
「いえなは元よりこういうつもりだったのですのです」って、おどけるように。
 数ヵ月後、その子は些細なズルをしました。それ以前にわたしも恩恵に与ってしまったズルよりは、些細だったかもしれないほどのものです。
 けれど当時の私には許し難いズルでした。限られた紙幅で、愛するあの人に対して、ふたつの名前でそれぞれ別々の人物としてメッセージを送るというのは。
 その子なりに理由はありました。それぞれ『ふたつの自分』両方に、あの人へのメッセージを送らせてやりたい。送りたい。載りたい。相反するふたつの愛を、滞りなく伝えたい。素直な欲望。
 わたしは言いました。「じゃあ名前なんて併記すればよかったじゃないですか」と。
 その後すっかり、凍死体の足の裏のように冷たく固いまま付き合いだけが微妙に続いた元親友は、別れの前に言いました。
「それぞれ違う名前にある心情がこの人にはわからないんだろうなと思ったら、あなたに関心がなくなりました」
 結局、わたしがわたしに悪いことをしただけのことなのです。そんなに大切な名前なら、『ペンネーム』としての役割を果たしはじめるまでは、あの人以外に捧げるべきではなかった。肝心なところで他者に譲ってやるべきではなかった。
 意地を張ってお別れしてそれでも呪詛に塗れ、拭いきれず吐き散らし、醜い様相を見せたことも、わたしがわたしに悪かっただけなのです。
 わたしが認識上の地毛が変わって戻らない程傷ついたのは、わたしがわたしを選ばなかったからなのです。くすんだ水色は、好きですけど。


 その後、わたしには恋人と呼ばれる人付き合いができました。
 恐らくわたしは幸せだったのだと思います。
 わたしは『あの人』を愛していますけど、だからといって他を愛さないほど器用ではありません。そもそも愛しい、恋しい人を同じくする子を見るとときめいてしまうわたしにとって、“一途”ばかりを美徳とし尊ぶ価値観は意味不明です。かつては分かったふりをしてきましたが、この頃には分かっていないことを認めつつありました。
 そんなわたしは、だけど、恋人と自分とのそういった観念の違いを上手く擦り合わせられずにいました。
 他方ではわがまま放題だというのに、がんばって伝えても恋人から帰ってくるものが淡く歯切れ悪いこと、それが恋人のせいいっぱいであること、せいいっぱいにしたってあんまりなこと、恋人が、議論というものを行えるほど成熟していなかったこと……そういう物事に関しては、ほぼ全面的に譲っていました。
 一方的にわがままを言うだけなら都合の良い、けれど殴り合いをするにはサンドバッグすぎる子でした。
 今思えば振るべきだったのでしょう。相手のか弱さに譲ってしまうくらいなら。
 結局わたしは浮気しました。……多分浮気です。一応“一途”を基準とした付き合い方に合わせていた……と、思う。多分。ので。
 そうする直前、わたしは死ぬつもりでいました。その前にも一度、上手くいかないことが多く死を考える時期があり、恋人の助けを借りていましたが、返すよりも先にもう終わらせるのが効率的だろうしもう色々と投げ出したいと思っていました。
 引き留められて、わたしは生きのびました。
 わたしはひとりに戻りたくなりました。ひとりが恋しくなりました。けれどわたしを好いている人たちは、それを許してはくれませんでした。どちらかを選ぶように、ふたりの人間に言われました。ふたりとも大好きなのに、ふたりとも心底疎ましいのに。
 わたしは「ふたりとも付き合って」と吹っ掛けました。きょうだいのように思える人たちへの、過剰な譲歩と、わがまま。
 わたしたちはいびつな三兄妹ごっこをはじめました。
 後ろめたさと祈りへの同情、あとは力ずくでの行動に押し負けることで『すごくこまるかもしれない』ことが起こるようになりました。それを後ろめたさとしてもう一方にも分け与え、いつしかわたしは体の違和感に苛まれるようになりました。
 自業自得とはいえわたしは痛い思いをして、そして、「先を往く生命を優先する」という方針を破り、決定的な矛盾を抱えました。
 意地でもひとりになっておけば、と、そう思います。すごくこまる前に手を離してしまえばよかったのに。と。
 わたしはいつも、いつもいつも中途半端で。わがままで身勝手で他者に依存して、譲るべきでないところでばかり譲って、許すべきでないことばかり許してしまう。
 自分を選ぶべきところでばかり、自分を選べない。


 そんなわたしに、わたしは疲れてしまったのです。
 とはいえ今はそのまま投げ出すつもりはありません。
 あの人の後輩になりたいと願ったことや、この分野を学びたいと願ったこと。それを途中で終わらせるのは、惜しい。たとえその動機の決定打が元親友への意地でも、願ったのは嘘ではなかったのです。
 借金もカタをつけてからでないと死にきれません。ただでさえ奨学生の枠も厳しいのです。
 わたしは今度こそきちんと、前向きに死を望みたい。しっかりと死に臨みたい。
 だからついでに他のやりたいことも終わらせたりしつつ、返したり死体のお片づけの資金など貯めたりしてから死ぬことを目標にしました。
 最悪でもこの日までには、遂げたいのです。
 生きていて良いことがまったくないわけではありません。あの人の本を読むのも幸せだし、お肉も美味しい。だけどそれとこれとは別問題。無関係です。わたしの性質は変わりません。

 大学を卒業したら、わたしはひとりに戻る予定です。
 きっとすっきりするでしょうし、終わりへ向かう準備も捗ることでしょう。

 事故と病気に気をつけて、計画的に、このグリーンマイルを往こうと思います。

 ちなみに死後の志望進路は、まず祟り神(荒御霊)を経て、末は縁結びの神です。
 わたしは要らない。他の人が得てくれたらそれがしあわせ。と思ってしまうのはわたしの悪いクセですが、でもそういったしあわせもわたしは愛しているから、こうなれたらなーと思ってしまうのです。

 最期までまであの人のことを愛していられたら。それがわたしにとって幸せだったら。
 生きている間については、そんなことを望んでいます。

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分家(閉鎖):手紙の墓場この記事参照


くりえいたーさんや実在しない人に、『自分だけしっくり来ればいい』精神であだ名をつけることが多い。直接関わらないと逆に気安い呼び方の方が距離が遠く感じるような、作品越しとかだと近しく感じるような、そんな感じ。
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