ブログです。
最近ヨルシカの『だから僕は音楽を辞めた』というアルバムに嵌まった。
嵌まったというよりのめり込んだとも言えるし、当て嵌まってしまったともいうし、とにかく聴いて聴いて、路上で歌って、想いを重ねた。
『詩書きとコーヒー』と『六月は雨上がりの街を書く』なんて凶悪だ。
初回盤の歌詞カードの日付が、いなくなった人を繰り返し何度も歌にしているやつの誕生日だなんて、偶然としてありうる範囲とはいえ勘弁してくれと思った。
そしてつい先日、続編となるアルバム『エルマ※1』が出ることが発表され、発売よりトレイラーより先にYouTubeにアルバムから一曲、『心に穴が空いた』が投稿された。勿論聴いた。
そりゃあもう、めちゃくちゃがっかりした。
というか、よく考えたらそもそも続編だかアンサーだかが来てしまうだけでがっかりなんてほとんど決まっていたようなものだった気さえする。
では「どこに」がっかりしたかというと、それは、一方通行でなくなってしまったところである。
『だから僕は音楽を辞めた』は本当に一方的なアルバムだ。
離れ離れになったあとで、随分あとでエルマについてエルマに対して書き綴った【一人称の人物】の歌だ。
初回盤についていた手紙と詩(これが歌詞カード)と写真も、箱の中に書き溜められている。
それは誰かが届けてくれることを祈るような代物だった。
アルバムが入った箱は、そうして一方的に思いつめ続けるという感情がつまった箱だった。
届くかどうかもわからない手紙は、送らない手紙ばかり書き、いなくなった人にばかりラブソングを書いている身にはイヤってほど馴染んだ。
だから余計にがっかりしたのだ。
エルマが、あれだけ一方的に煮詰められていた【一人称の人物】と同じような密度で、鏡写しのような感情を歌ってしまったから。
『エイミー』と、最初に発表された楽曲で既に【一人称の人物】に呼びかけたから。
自責で自分の傷を抉っている面もあるのかもしれないし【一人称の人物】の真似をしているしいやそういうことも考えられるんだ。
でも、やっぱり、同じような思いの丈が返ってしまったと思った。
エルマからのアンサーが、「日々の記憶に埋もれていたかつての大切な人からの手紙が届いて、思い出と感傷を得る」とかその程度じゃなかったなんて。
アルバム『エルマ』の楽曲名が大体『だから僕は音楽を辞めた』と対になっているだなんて。
あんまりだ。と思った。
エルマにはもっと、手応えのない存在でいてほしかったのに。
『だから僕は音楽を辞めた』は『心に穴が空いた』の登場により“限りなく一方的である”“一方的に思い詰めたり叩きつけたりしている”という魅力を失ってしまった。
無論「そんな続編アルバム出すな」と現実的に中止させたいわけではない。というか無理だろうそんなこと。
むしろファンの好意的な反応を見てから安心して書き始めたのだこの記事は。
だから遠慮なく書くけど、がっかりしたよ、ナブナ。
コンビニでこの歌が流れる間は、しょっちゅうがっかりを思い出して過ごすのだろうと思う。
諦めはついているけれど、少し虚しいよ。
あんまりなことに新しくした恋の傷はすぐにふさがってしまう。あんまりなことに彼女が死んだ日最後に読んだ小説の続編は何年も出なかったクセに急に彼女の存在を吹っ切ってしまったみたいに刊行される。あんまりなことに、『だから僕は音楽を辞めた』は、一方通行でなくなる。
※1エルマというのは人名で、『だから僕は音楽を辞めた』の【一人称の人物】がずっと詩を手紙を宛てていた人物だ。
追記:【】内の表記を統一したりタイトルに一応感想だぞーってわかるように(感想)って書いたり細かい修正したりはちょいちょいやりました。
嵌まったというよりのめり込んだとも言えるし、当て嵌まってしまったともいうし、とにかく聴いて聴いて、路上で歌って、想いを重ねた。
『詩書きとコーヒー』と『六月は雨上がりの街を書く』なんて凶悪だ。
初回盤の歌詞カードの日付が、いなくなった人を繰り返し何度も歌にしているやつの誕生日だなんて、偶然としてありうる範囲とはいえ勘弁してくれと思った。
そしてつい先日、続編となるアルバム『エルマ※1』が出ることが発表され、発売よりトレイラーより先にYouTubeにアルバムから一曲、『心に穴が空いた』が投稿された。勿論聴いた。
そりゃあもう、めちゃくちゃがっかりした。
というか、よく考えたらそもそも続編だかアンサーだかが来てしまうだけでがっかりなんてほとんど決まっていたようなものだった気さえする。
では「どこに」がっかりしたかというと、それは、一方通行でなくなってしまったところである。
『だから僕は音楽を辞めた』は本当に一方的なアルバムだ。
離れ離れになったあとで、随分あとでエルマについてエルマに対して書き綴った【一人称の人物】の歌だ。
初回盤についていた手紙と詩(これが歌詞カード)と写真も、箱の中に書き溜められている。
それは誰かが届けてくれることを祈るような代物だった。
アルバムが入った箱は、そうして一方的に思いつめ続けるという感情がつまった箱だった。
届くかどうかもわからない手紙は、送らない手紙ばかり書き、いなくなった人にばかりラブソングを書いている身にはイヤってほど馴染んだ。
だから余計にがっかりしたのだ。
エルマが、あれだけ一方的に煮詰められていた【一人称の人物】と同じような密度で、鏡写しのような感情を歌ってしまったから。
『エイミー』と、最初に発表された楽曲で既に【一人称の人物】に呼びかけたから。
自責で自分の傷を抉っている面もあるのかもしれないし【一人称の人物】の真似をしているしいやそういうことも考えられるんだ。
でも、やっぱり、同じような思いの丈が返ってしまったと思った。
エルマからのアンサーが、「日々の記憶に埋もれていたかつての大切な人からの手紙が届いて、思い出と感傷を得る」とかその程度じゃなかったなんて。
アルバム『エルマ』の楽曲名が大体『だから僕は音楽を辞めた』と対になっているだなんて。
あんまりだ。と思った。
エルマにはもっと、手応えのない存在でいてほしかったのに。
『だから僕は音楽を辞めた』は『心に穴が空いた』の登場により“限りなく一方的である”“一方的に思い詰めたり叩きつけたりしている”という魅力を失ってしまった。
無論「そんな続編アルバム出すな」と現実的に中止させたいわけではない。というか無理だろうそんなこと。
むしろファンの好意的な反応を見てから安心して書き始めたのだこの記事は。
だから遠慮なく書くけど、がっかりしたよ、ナブナ。
コンビニでこの歌が流れる間は、しょっちゅうがっかりを思い出して過ごすのだろうと思う。
諦めはついているけれど、少し虚しいよ。
あんまりなことに新しくした恋の傷はすぐにふさがってしまう。あんまりなことに彼女が死んだ日最後に読んだ小説の続編は何年も出なかったクセに急に彼女の存在を吹っ切ってしまったみたいに刊行される。あんまりなことに、『だから僕は音楽を辞めた』は、一方通行でなくなる。
※1エルマというのは人名で、『だから僕は音楽を辞めた』の【一人称の人物】がずっと詩を手紙を宛てていた人物だ。
追記:【】内の表記を統一したりタイトルに一応感想だぞーってわかるように(感想)って書いたり細かい修正したりはちょいちょいやりました。
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途中までサイトの1コーナー扱いでしたが途中でブログ独立宣言。2011年1月9日、カウンターつけてみました。
いやなおんな(index)関係の更新履歴でもあるが、感想とかのブログでもある(たぶん)し他にも気が向けば書く。二次創作なカプ厨。
実情ほぼ入間人間のファンブログみたいな感じでしたが、とある事情により離れていく予定。(過去作品は別腹かもしれない)
くりえいたーさんや実在しない人に、『自分だけしっくり来ればいい』精神であだ名をつけることが多い。直接関わらないと逆に気安い呼び方の方が距離が遠く感じるような、作品越しとかだと近しく感じるような、そんな感じ。
しかしわかりづらいあだ名が多い(ひどい)。
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女性
自己紹介:
片手羽の下の名前はいえなです。Twitterまとめ記事等ではしょっちゅう出ていましたが、
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
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