ブログです。
断言しやがった!!!!
ごめん、ちょっと大袈裟に、断言してあの、気持ちよくタイトルつけちゃいました。
ともかく、わたしが『入間人間』と、『入間人間』というキーワードを含むものを閲覧し続けてきて(一時期はGoogleに引っかかるすべての感想記事を閲覧しておりましたとも)感じているのは、
一人のライトノベル作家の『読者の分量』というのは、足されたときより引かれたときの方が、固定されてしまいやすいということだ。
ひとつ下手を打つ度、『余程の何かがない限り二度と読まない層』が膨れていく。そんな世界。
そして『衆愚』という言葉がある通り人間っていうのはゴミの塊だ。
しかも、彼がエッセイで語ったような読者の新陳代謝(ってわたしは思った)さえもインターネットコミュニティによって阻害され、その層を薄くする。
一度ついたイメージは未購入の層にまで伝播する。特に影響を受けやすく、ばかにされたくなくてばかにする、可愛い頃は。
子供はいろんなもの伝染させられて育つ。免疫とか、びょーきとか、色々。
だからこうなるのもたやすい。
「ああ、アレね(笑)」と。「読んだことないけどクソなんでしょ?」と。
それに、人間は他をバカにするのがとても好きだ。大好き。わたしもすき、なはず。
わたしがツッコミ入れたら勤務中散々ツッコミどころ満載のクソリプ爆撃した上ブロックまでしやがってツッコミ入れさせてくれなかった(※なんとか少しした)子供は最初、大体こんなことを言っていたよ。
「読んだ人によると入間人間って文章の構成が駄目らしいから、文章は米澤穂信の影響受けてないね」。
聞いた評判書いてると思ったら最後いきなり断言しやがった! 解せない!!
そういう小さなひずみが最後にはどうなるのかまったくわかってないのね。そんなもんね。
だからわたし、やっぱり人間ってきらい。
中途半端に言語が通じるところが嫌。もう一度バベルでもなんでも建設してくれ。土台の煉瓦一個抜いとくから。ってくらい嫌い。
えぇっとズレた。閑話休題、です。
『引き算されてしまった層のこと』に戻る。
今までのところでいうと、ブリキ絵との不一致を起こしていた電波女と青春男とかね。「エリオが可愛いだけじゃんw」ってイメージ付けた読者はどれくらいかな? 一山幾らで買えたのかしら。
何度も書いちゃってるかもしれないけどね、わたし電春の表紙には絶望したの。
「ああ、このひと使い捨てられちゃうんだわ」って。
だってブリキ絵って、特に当時のそれって、ブヒちゃんたちたくさん釣れるけど、釣れるだけ。作風とは合ってない。
イラストを見て期待する方向の良さには、正直乏しい。何のツッコミも受けずいつまでも若くて美しい母親を書く人ではないもの。
…………後から無理やりバランス取ったら妖怪になったし(妖怪に落ち着いてからの女々ちゃんは割と受け入れられたけど、最初若くなったときはマジ無理だった。エリオットくんがいつまでも若くても無理だった)。
そうして、予告と本編が異なったような状態になると、本編の方の印象が悪くなる。『わかりやすいよさ』が予告にあるのなら、特に。
本編の、つまり『作家の程度』を、低く評価される。
……やっぱり、本は売れるけど作家は残らない売り方なんじゃないかな。
そういう不一致もだし、こっちはただ雑なだけなんだけど、イラストと本文が普通に食い違ってるのも地味に印象悪くなる原因になる。
本文と乖離してたら本文に文句言う子までいたなぁ。電春の一冊目についてハッキリそう言っちゃってる子だけで二人くらい見たよ。
そうやってただひたすら引き算されていくばかりだから。
だからせめて、未完のまま捨て置くことを繰り返すの、避けてくれないかなぁ、って、入間人間に対して、思う。
そんな引き算されなくていいところで引き算されないでくださいませんかね(怒)って思う。
編集部の意向の方が大きそうだけどそれはそれで、そっちに文句がある。
イラストレーターが病気しちゃってたりするのはともかく、それ以外で続きが出ず他の話がポンポン出版されるのってさ、
ただただ出してる側の計算とそして、『お前たちなんかの期待など答えらるまでもない』という、読者を一部「この程度なら」と切り捨てる選択が剥き出しなのよね。信用なくなるよね。
それこそ強固に引き算されて、決して、戻ってはこない。
引き算が引き算を呼んで枯れてしまったら、わたしは彼の書いた物語を、文章を、読めなくなる。そして、何もできない。また彼の文章に会いたくなっても、何もできなくなる。
だから、お願いだから無駄なとこで信用をなくしていくのやめてください。って、思う。
うーん、散文になっちゃった感。あとからちょいちょい道筋とか整えるかも。
ごめん、ちょっと大袈裟に、断言してあの、気持ちよくタイトルつけちゃいました。
ともかく、わたしが『入間人間』と、『入間人間』というキーワードを含むものを閲覧し続けてきて(一時期はGoogleに引っかかるすべての感想記事を閲覧しておりましたとも)感じているのは、
一人のライトノベル作家の『読者の分量』というのは、足されたときより引かれたときの方が、固定されてしまいやすいということだ。
ひとつ下手を打つ度、『余程の何かがない限り二度と読まない層』が膨れていく。そんな世界。
そして『衆愚』という言葉がある通り人間っていうのはゴミの塊だ。
しかも、彼がエッセイで語ったような読者の新陳代謝(ってわたしは思った)さえもインターネットコミュニティによって阻害され、その層を薄くする。
一度ついたイメージは未購入の層にまで伝播する。特に影響を受けやすく、ばかにされたくなくてばかにする、可愛い頃は。
子供はいろんなもの伝染させられて育つ。免疫とか、びょーきとか、色々。
だからこうなるのもたやすい。
「ああ、アレね(笑)」と。「読んだことないけどクソなんでしょ?」と。
それに、人間は他をバカにするのがとても好きだ。大好き。わたしもすき、なはず。
わたしがツッコミ入れたら勤務中散々ツッコミどころ満載のクソリプ爆撃した上ブロックまでしやがってツッコミ入れさせてくれなかった(※なんとか少しした)子供は最初、大体こんなことを言っていたよ。
「読んだ人によると入間人間って文章の構成が駄目らしいから、文章は米澤穂信の影響受けてないね」。
聞いた評判書いてると思ったら最後いきなり断言しやがった! 解せない!!
そういう小さなひずみが最後にはどうなるのかまったくわかってないのね。そんなもんね。
だからわたし、やっぱり人間ってきらい。
中途半端に言語が通じるところが嫌。もう一度バベルでもなんでも建設してくれ。土台の煉瓦一個抜いとくから。ってくらい嫌い。
えぇっとズレた。閑話休題、です。
『引き算されてしまった層のこと』に戻る。
今までのところでいうと、ブリキ絵との不一致を起こしていた電波女と青春男とかね。「エリオが可愛いだけじゃんw」ってイメージ付けた読者はどれくらいかな? 一山幾らで買えたのかしら。
何度も書いちゃってるかもしれないけどね、わたし電春の表紙には絶望したの。
「ああ、このひと使い捨てられちゃうんだわ」って。
だってブリキ絵って、特に当時のそれって、ブヒちゃんたちたくさん釣れるけど、釣れるだけ。作風とは合ってない。
イラストを見て期待する方向の良さには、正直乏しい。何のツッコミも受けずいつまでも若くて美しい母親を書く人ではないもの。
…………後から無理やりバランス取ったら妖怪になったし(妖怪に落ち着いてからの女々ちゃんは割と受け入れられたけど、最初若くなったときはマジ無理だった。エリオットくんがいつまでも若くても無理だった)。
そうして、予告と本編が異なったような状態になると、本編の方の印象が悪くなる。『わかりやすいよさ』が予告にあるのなら、特に。
本編の、つまり『作家の程度』を、低く評価される。
……やっぱり、本は売れるけど作家は残らない売り方なんじゃないかな。
そういう不一致もだし、こっちはただ雑なだけなんだけど、イラストと本文が普通に食い違ってるのも地味に印象悪くなる原因になる。
本文と乖離してたら本文に文句言う子までいたなぁ。電春の一冊目についてハッキリそう言っちゃってる子だけで二人くらい見たよ。
そうやってただひたすら引き算されていくばかりだから。
だからせめて、未完のまま捨て置くことを繰り返すの、避けてくれないかなぁ、って、入間人間に対して、思う。
そんな引き算されなくていいところで引き算されないでくださいませんかね(怒)って思う。
編集部の意向の方が大きそうだけどそれはそれで、そっちに文句がある。
イラストレーターが病気しちゃってたりするのはともかく、それ以外で続きが出ず他の話がポンポン出版されるのってさ、
ただただ出してる側の計算とそして、『お前たちなんかの期待など答えらるまでもない』という、読者を一部「この程度なら」と切り捨てる選択が剥き出しなのよね。信用なくなるよね。
それこそ強固に引き算されて、決して、戻ってはこない。
引き算が引き算を呼んで枯れてしまったら、わたしは彼の書いた物語を、文章を、読めなくなる。そして、何もできない。また彼の文章に会いたくなっても、何もできなくなる。
だから、お願いだから無駄なとこで信用をなくしていくのやめてください。って、思う。
うーん、散文になっちゃった感。あとからちょいちょい道筋とか整えるかも。
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案内
途中までサイトの1コーナー扱いでしたが途中でブログ独立宣言。2011年1月9日、カウンターつけてみました。
いやなおんな(index)関係の更新履歴でもあるが、感想とかのブログでもある(たぶん)し他にも気が向けば書く。二次創作なカプ厨。
実情ほぼ入間人間のファンブログみたいな感じでしたが、とある事情により離れていく予定。(過去作品は別腹かもしれない)
くりえいたーさんや実在しない人に、『自分だけしっくり来ればいい』精神であだ名をつけることが多い。直接関わらないと逆に気安い呼び方の方が距離が遠く感じるような、作品越しとかだと近しく感じるような、そんな感じ。
しかしわかりづらいあだ名が多い(ひどい)。
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プロフィール
HN:
Jane Na Doe(片手羽)
HP:
性別:
女性
自己紹介:
片手羽の下の名前はいえなです。Twitterまとめ記事等ではしょっちゅう出ていましたが、
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
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