ブログです。
\戦記ではねえよ!/
先日、『HANAGOROMO』さんで絞り染めの糸を解く体験というのをやらせてもらい、そのまま染めのハンカチをいただいてまいりました。
デザインの先生が直接いらしていて緊張なんてものでは……!
しかし飾られていた絞り染めの着物も頂いた絞り染めのハンカチもとても綺麗でしたし綺麗です!
写真に写っているハンカチは京都の職人さんのもので、4種類の絞りで模様を作ってあります。
理由は聞きそびれてしまったのですが、絞りの職人さんというのは1種類の絞りしかできないそうです。なのでつまり、絞りだけで4人の手が掛かっているのですね。恐縮ですね。
『解き体験』だったので糸を自分で切ってきたのですが、それぞれ、
・糸だけでめっちゃぐるぐる巻いてあったり(お花部分)
・樹脂のキャップ(昔は竹だったそうです)が嵌めてあったり(真っ白い葉部分)
・くしゅくしゅと縫ってあるだけに見えたり(点描の葉部分)
・小さく縫ってあるだけに見えたり(点々の飾り)
というのが、糸を解くと染まっていない白による模様が出てきて、なんともいえないものでした。
全部いいんですが、わたしは点線で描いてある葉の部分が妙に好きですね。手法の中だと。針の跡も込みで綺麗なんですが、点線の葉が一番針の穴が綺麗に模様として成っている感じがしてっ。
他にも展示されていた場では、畳んで板ではさむことで花やクローバーみたいな白抜きを作れる染めや、その色をつけたくないところに蝋を塗って周りだけ染めるろうけつ染めの手法の着物を見せていただきました。
染めというのも、板にパーンと布を張って、ムラなく塗っていくという手作業……そりゃたけえわという感じです(貧乏学生らしい感想に落ち着く)。
ろうけつ染めのめちゃカッコイイ黒や落ち着いた紫の着物を試着させていただいたのですが、もうほんとカッコよかった。パリコレって感じだった(小学生並の感想)。
そんな感じの体験をしてきたのでした。
どこの回しもんだって? いやぁ、ハンカチをいただいたりとっても安くたとう紙をいただいたりしたから何か買えそうで気に入る何か(新しい簪とか)あったら買おうと思ってたんだけど結局3枚入りのたとう紙だけ100円で買って帰って来ちゃったからさぁ(正直者)。
でもすげえのもすてきなのも嘘じゃないよ。だっていえにゃん正直者だもの☆
続きから脱線してちょっと語る(?)。
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Twitterで交流のあったまゆりさんに合わせ(同じ作品のコスプレで合わせるやつ)に誘っていただき、行って参りました。
コスプレはわたしとまゆりさん、撮影はまゆりさんのお友達のひのきさんがやってくださいました。(あんなにちゃんと写真撮ってもらったの初めてだよ! そして持ち運びのレフ板初めて見たよ!)ほんとうにありがとうございました。
コスプレはわたしとまゆりさん、撮影はまゆりさんのお友達のひのきさんがやってくださいました。(あんなにちゃんと写真撮ってもらったの初めてだよ! そして持ち運びのレフ板初めて見たよ!)ほんとうにありがとうございました。
- 解釈厨という存在
ここで言う解釈厨というのは「色々考えるのが好きー」という人たちのことではない。
今回するのは、とくにボカロ界によくいる『ああいった人たち』の話だ。
つまり、主に歌詞解釈厨について書く。
今回話すのは例えばこういう奴のこと。
「言えるときに 言えばよかった」という、色んな想いを重ねられる1フレーズがあるとする。
これに対して、
「相手が病気で短命だったのかな?」「親の死に目に会えなかったのかな?」「主人公もう幽霊なのかも」とか言っちゃうごみくず共のこと。
「それだけのことでごみくずって言うの?」「ブログ主攻撃的な性格すぎじゃない?」
って言われるかもしれないけど、
わたしはたとえわたしが今のこの攻撃的な性格じゃなくても多分こいつらのことは嫌うし、それなりにひどい呼び方をすると思う。
- 解釈厨の習性
「相手が病気で短命だったのかな?」無駄にドラマチックである。
「親の死に目に会えなかったのかな?」恋愛や隣人愛や友愛やその他の愛を信じていないのかなんなのか知らないけれど、奴らは何故か、どう見てもラブソングな歌でさえも親子の話にしたがるし、人生で何度も経験する別れのひとつも親子の死別にしたがる。
「主人公もう幽霊なのかも」無駄にry。
まず、
穿ちすぎだ。酒がなくても酔っ払えそうなくらい自分の発想に酔っている。
一応書いておくが、奴らの文章は、「こういう誤読楽しそう」とか「わたしの中ではこういう読解の仕方をしておきたいな」とか「カプ厨なので○○×●●ソングってことにして妄想します」とかじゃない。
奴らの書き口は明確に「実はこういう歌なんだね?」である。
だからこまるのだ。
そして、『親子にしたがる』という特徴については他の面からも見ることができるが、
概ね奴らは、一々死に結びつけたり無駄にドラマチックなシチュエーションを用意したりしたがるのだ。
色々な意味で聴けるはずの別れは短命な登場人物による死別に。
何度も味わう『きっとたった一度きり』の切なさは一度や二度あれば多い親の喪失に。
夜が来る度知る寂しさは幽明境の向こう側の悲しみに。
つまり、解釈厨というのは言葉の意味を狭い籠に閉じ込めたり、やたら遠くへ、遠くへと投げたりしてしまう習性を持っているのだ。
わたしたちの気持ちの近くへと転がされたことばという球を明後日の方向に遠投してドヤ顔なのだ。
- 死んでほしい理由
奴らはわたしが奴らに死んでほしいと願う前に普遍性をぶっ殺しているのだ。
奴らとは逆に、ポリティカルでない多くの歌は、『幽霊』や『死』や『戦争』を使ってもそれはモチーフ、テクスチャ、パターン素材としてで、色んな気持ちを重ねられる普遍性を表現するために使う。と思う。これは諸説あるだろうけど。
気持ちっていうのは元々ある種の普遍性を持っているんだから、気持ちが書かれた歌はとりあえず、普遍性を褒め言葉にできる……はず。断言はできない。
でも、奴らの遠投……っていうか大暴投は、となりにいる人を遠くへぶん投げる。そして意味を限定して、断言する。普遍性を殺す。
こんな寂しいこと、この世にそうたくさんないんじゃないかと、わたしは思う。
だからわたしは、解釈厨という名の遠投厨には死んでほしい。
正直、悲しいのと寂しいのはお腹いっぱい。折角歌が寄り添ってくれるのにそれを遠くにぶん投げて満足している人たちがいると思うともう、空虚で仕方ない。
見なきゃいいって問題でもない。だってわたしは奴らの存在をもう知ってしまった。
きっとどこかに居て、もしかしたらマックで隣に座っていて、同じ大暴投の仕方をしている仲間を見つけては「きっとそうなのだ」という思いを強めているんだろうって、知ってしまった。
大学で友人になった子が『色んな流行でおこるあれこれにあてはめられる歌詞』を『最近の○流ブームのことでしょww』と笑っていたのを見たときから、考え方が似ている友達以外の友達とは、自分が大好きな歌を聴きたくない。ていうか聴いてほしくない。これ以上心の穴を押し広げないでほしい。
できれば消え去ってほしい。
心変わりを望むことなんて、他者に対する望みとしては、望みすぎだと思う。
だから死んでほしいのです。
追記:ここでは例に挙げませんでしたが『何でもセックスの暗喩厨』と『何でも胎児厨』と『何でも堕胎厨』等の『何でも○○シリーズ』の奴らにも死んでほしいです。
追記:なんだかすごく頭が残念な子たちに粘着されて鬱陶しいんだけど、もしかしてキッズの掲示板に貼られてる?これ。うんざり。
わたし教員免許持ってないから勘弁して頂戴。
更に追記:仕様変更かコメ欄閉じると過去のコメまで見れない仕様になっていた(前からそうだっけ?)ことに気付いたのでコメ欄あけました。うざかったら閉じる。
>2024-07-11拍手コメント
ありがとう。ただまあ……人の言語化を見てエウレカ!するときは元の気持ちからズレちゃってないかのチェックだけ忘れずにいてくださいね(割と忘れる)。いい参考になるなら嬉しいです。
なんだこのアフィブログみたいなタイトル。
まず前提です。このブログをよく見に来てくださっている方々はみなさんご存知かと思われますが、わたしはいわゆるガチ恋勢です! ……という軽い言い方をしてよいものか、気持ちの重みに耐えきれず、転んでばかりの人生を送っています。
無理に恋をしてほしいわけではないのです。ただ、誰かと共にありたいと望むのならば、誰もが幸せでいてほしい、不幸になるのなら、それも自分自身で選びとれたらいいと、そういう風にお祈りをするのが趣味です。(でもエロパロの殆どが恋愛関係にない状態でのセkk)
結婚式の映像編集を仰せつかっていたときもそれはそれは幸せでしたし、死んだら荒御霊としてウサを晴らしたあと、祟りを恐れた人々に祀っていただいて、縁結びの神になりたいです。
と、いうことで、お見合いの練習相手のアルバイトを受けてみたのです!
そしたらですね、あれよあれよと自分のお見合いまでおすすめされてしまいました。
~面接 回想~
社員さん「結婚や婚活には興味はありますか?」
わたし「ひゃ、ひゃい! あるます」
社員さん「よかったぁ。そういう人にやってほしいアルバイトなんですよ~。どうです? ご自分も結婚とか……良い人いたらしてみたいなーとか、ちょっとでもあるかな?」
わたし「あ、え、と(あるって言った方が有利そう! だし…………うぅん……単婚制度と合うかといえば合わないしあの人のことが好きだけど、価値観が合致する人とバディを組むというのは悪くない選択かも)……あ、あります!」
社員「じゃあこっちのね……――」
わたし「え、あ、は、はいえっと、あ……――」
~面接 回想終わり~
という感じで……。わ、わたしのゆうじゅうふだんが……。
「まあ、『お見合い』だし、バディ探しをしている方もそれなりにいらっしゃるよね……?」
とか考えていたのがバカでした!
そう、思ったより皆さんお見合いで恋愛結婚する気なのです!
そもそも論として、お家の都合での婚姻が主だった頃から、婚姻≒他での恋愛は自由にできなくなる、という交換が容易く成立している国なのでしたね。忘れていました!
ということで婚活の会社もお見合いのお相手も、どことなーくそういう前提を持っている風で……。
まるで大人のルールで運ぶ大人のお食事会に連れて来られて話を合わせるのにあっぷあっぷな少女に戻ったかのような気分で色んな物事が回りました。
きっとあの場所と同じように、わたしと彼らの『ちがい』は何故か『わたしの未熟』として処理されるのだろうと、そんな負け犬気分と親戚連中への確かな殺意を思い出すのです。
好みのタイプとして「個人主義な方です」と答えておいたのですが、『簡易版』(※少なくともわたしはお金かけてません)ではそういった回答は考慮されなかったのもあり、
男性「寧ろ僕はそういうとき女性を守ってあげたい方でして」
わたし「それは素敵なことですね(わたし相手に言われても全然素敵じゃないけど似合いの女性には頼れることだろうなぁ)」
みたいなやりとりさえありました。とても心苦しかったですね。
婚活斡旋に於いて無意識のうちに想定されている『結婚願望が(少しでも)ある女性』という像と、わたし、片手羽いえなはかけ離れ過ぎていたのですのです……。
(そもそも35歳までには死のうと思っている人とバディを組もうと思えるほど人生割り切った方は少なそうですがそれはそれ)
考えれば考えるほど、あの人のことが頭に浮かぶ。
わたしはそもそも婚姻と恋愛を同じもので埋めなければいけないのもよく意味がわからないし、それらが絶対に一対一であるものとする価値観には疑問を持っている派です。
誰かを愛したからといって他に目を向けられなくなるのは不自由に感じるし、わたしを愛したからといって他に目を向けなくなるのは愚かだと思います。それ以外の可能性が潰えると思い込むのは世界の広さと愛に対する慢心です。
(その辺を整理し終えてもいないのに結婚の約束をしてしまったこともありましたが……あう……あれはあれで思い出すと申し訳なくて胃が痛い……。)
でも、どうしても『恋愛結婚かつ単婚』をしなければならないとしたら、あの人だと思ってしまうのです。毎回。
それは、少なくともあの人への気持ちを断ち切ることは無理。という結論に他なりません。
わたしは他の人のことも好きになりますが、その前にわたしはあの人のことが好きなのです。
呪いのようなものです。
アイデンティティに食い込むほどにあの人のことが好きなまま時間を過ごしてしまったし、価値観の内側をしこたま撫でられてしまった。あの人なしではいられない心にされてしまった(エロ同人みたいに!)。
それにあの人との契約だったら独占契約でもまあギリギリ許せますし、正直、一生座敷牢でも、それなりの齢で自殺するという人生設計を邪魔されても、まああの人がすることなら最終的には許せてしまいそうなのですよね(※ただしぶち殺さないとは言ってない)。
別にあの人と結婚したいわけではありません。ありません、多分。いえ、許されると思っていません。望むことごと、許されざることだと考えています。
少なくともあの人への想いを否定されるのだけは絶対にごめんだということに、真夜中、ぐずぐず悩んで泣きながら気づいただけです。
もうお見合いはお手伝いだけさせていただくことになっています。もーこりごりです。
まず前提です。このブログをよく見に来てくださっている方々はみなさんご存知かと思われますが、わたしはいわゆるガチ恋勢です! ……という軽い言い方をしてよいものか、気持ちの重みに耐えきれず、転んでばかりの人生を送っています。
- いきさつ
無理に恋をしてほしいわけではないのです。ただ、誰かと共にありたいと望むのならば、誰もが幸せでいてほしい、不幸になるのなら、それも自分自身で選びとれたらいいと、そういう風にお祈りをするのが趣味です。(でもエロパロの殆どが恋愛関係にない状態でのセkk)
結婚式の映像編集を仰せつかっていたときもそれはそれは幸せでしたし、死んだら荒御霊としてウサを晴らしたあと、祟りを恐れた人々に祀っていただいて、縁結びの神になりたいです。
と、いうことで、お見合いの練習相手のアルバイトを受けてみたのです!
そしたらですね、あれよあれよと自分のお見合いまでおすすめされてしまいました。
~面接 回想~
社員さん「結婚や婚活には興味はありますか?」
わたし「ひゃ、ひゃい! あるます」
社員さん「よかったぁ。そういう人にやってほしいアルバイトなんですよ~。どうです? ご自分も結婚とか……良い人いたらしてみたいなーとか、ちょっとでもあるかな?」
わたし「あ、え、と(あるって言った方が有利そう! だし…………うぅん……単婚制度と合うかといえば合わないしあの人のことが好きだけど、価値観が合致する人とバディを組むというのは悪くない選択かも)……あ、あります!」
社員「じゃあこっちのね……――」
わたし「え、あ、は、はいえっと、あ……――」
~面接 回想終わり~
という感じで……。わ、わたしのゆうじゅうふだんが……。
- れっつお見合い(簡易版)
「まあ、『お見合い』だし、バディ探しをしている方もそれなりにいらっしゃるよね……?」
とか考えていたのがバカでした!
そう、思ったより皆さんお見合いで恋愛結婚する気なのです!
そもそも論として、お家の都合での婚姻が主だった頃から、婚姻≒他での恋愛は自由にできなくなる、という交換が容易く成立している国なのでしたね。忘れていました!
ということで婚活の会社もお見合いのお相手も、どことなーくそういう前提を持っている風で……。
まるで大人のルールで運ぶ大人のお食事会に連れて来られて話を合わせるのにあっぷあっぷな少女に戻ったかのような気分で色んな物事が回りました。
きっとあの場所と同じように、わたしと彼らの『ちがい』は何故か『わたしの未熟』として処理されるのだろうと、そんな負け犬気分と親戚連中への確かな殺意を思い出すのです。
好みのタイプとして「個人主義な方です」と答えておいたのですが、『簡易版』(※少なくともわたしはお金かけてません)ではそういった回答は考慮されなかったのもあり、
男性「寧ろ僕はそういうとき女性を守ってあげたい方でして」
わたし「それは素敵なことですね(わたし相手に言われても全然素敵じゃないけど似合いの女性には頼れることだろうなぁ)」
みたいなやりとりさえありました。とても心苦しかったですね。
婚活斡旋に於いて無意識のうちに想定されている『結婚願望が(少しでも)ある女性』という像と、わたし、片手羽いえなはかけ離れ過ぎていたのですのです……。
(そもそも35歳までには死のうと思っている人とバディを組もうと思えるほど人生割り切った方は少なそうですがそれはそれ)
- 恋心をこじらせて。
考えれば考えるほど、あの人のことが頭に浮かぶ。
わたしはそもそも婚姻と恋愛を同じもので埋めなければいけないのもよく意味がわからないし、それらが絶対に一対一であるものとする価値観には疑問を持っている派です。
誰かを愛したからといって他に目を向けられなくなるのは不自由に感じるし、わたしを愛したからといって他に目を向けなくなるのは愚かだと思います。それ以外の可能性が潰えると思い込むのは世界の広さと愛に対する慢心です。
(その辺を整理し終えてもいないのに結婚の約束をしてしまったこともありましたが……あう……あれはあれで思い出すと申し訳なくて胃が痛い……。)
でも、どうしても『恋愛結婚かつ単婚』をしなければならないとしたら、あの人だと思ってしまうのです。毎回。
それは、少なくともあの人への気持ちを断ち切ることは無理。という結論に他なりません。
わたしは他の人のことも好きになりますが、その前にわたしはあの人のことが好きなのです。
呪いのようなものです。
アイデンティティに食い込むほどにあの人のことが好きなまま時間を過ごしてしまったし、価値観の内側をしこたま撫でられてしまった。あの人なしではいられない心にされてしまった(エロ同人みたいに!)。
それにあの人との契約だったら独占契約でもまあギリギリ許せますし、正直、一生座敷牢でも、それなりの齢で自殺するという人生設計を邪魔されても、まああの人がすることなら最終的には許せてしまいそうなのですよね(※ただしぶち殺さないとは言ってない)。
別にあの人と結婚したいわけではありません。ありません、多分。いえ、許されると思っていません。望むことごと、許されざることだと考えています。
少なくともあの人への想いを否定されるのだけは絶対にごめんだということに、真夜中、ぐずぐず悩んで泣きながら気づいただけです。
- 結論
もうお見合いはお手伝いだけさせていただくことになっています。もーこりごりです。
約束は守るよ。
それがすべてだもの。
追記:某質疑応答コーナーに 質問ではない(勿論疑問文ではあるんだけど、『お元気ですか?』と同じく単体で返答を貰うようなもでもない) おてまみが全文掲載されて恥ずかしいので雲隠れします。
もしも、もしもの世界であなたがわたしを好いてくれていたらのお断り文句はね、本当は「女の趣味が悪いからだめ」じゃないの。「目が二つしかないからだめ」でもない。
ほんとうは、「此岸の人間だからだめ」って言わなきゃいけなかったの。わたしは色々と、あなたからみて彼岸の人間だから。
人を殺すのは悪いことよね。何があっても悪者よ。此岸の価値観はステキ。すてき。あなたを守ってくれる。わたしが居たら、居たら台無しじゃない。台無しだわ。
だからもしもの世界を夢見ても、最終的にはさよならを言わなきゃいけないのよ。わたし。口づけしても誓えない。抱いてもらっても先はない。たとえ夢でも。夢でも守るべき境界。
苦しい。苦しい。変な卒論送ってごめんなさい。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。消えたい。消えてしまいたい。ごめんなさい。ごめんなさい。
それがすべてだもの。
追記:某質疑応答コーナーに 質問ではない(勿論疑問文ではあるんだけど、『お元気ですか?』と同じく単体で返答を貰うようなもでもない) おてまみが全文掲載されて恥ずかしいので雲隠れします。
もしも、もしもの世界であなたがわたしを好いてくれていたらのお断り文句はね、本当は「女の趣味が悪いからだめ」じゃないの。「目が二つしかないからだめ」でもない。
ほんとうは、「此岸の人間だからだめ」って言わなきゃいけなかったの。わたしは色々と、あなたからみて彼岸の人間だから。
人を殺すのは悪いことよね。何があっても悪者よ。此岸の価値観はステキ。すてき。あなたを守ってくれる。わたしが居たら、居たら台無しじゃない。台無しだわ。
だからもしもの世界を夢見ても、最終的にはさよならを言わなきゃいけないのよ。わたし。口づけしても誓えない。抱いてもらっても先はない。たとえ夢でも。夢でも守るべき境界。
苦しい。苦しい。変な卒論送ってごめんなさい。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。消えたい。消えてしまいたい。ごめんなさい。ごめんなさい。
案内
途中までサイトの1コーナー扱いでしたが途中でブログ独立宣言。2011年1月9日、カウンターつけてみました。
いやなおんな(index)関係の更新履歴でもあるが、感想とかのブログでもある(たぶん)し他にも気が向けば書く。二次創作なカプ厨。
実情ほぼ入間人間のファンブログみたいな感じでしたが、とある事情により離れていく予定。(過去作品は別腹かもしれない)
くりえいたーさんや実在しない人に、『自分だけしっくり来ればいい』精神であだ名をつけることが多い。直接関わらないと逆に気安い呼び方の方が距離が遠く感じるような、作品越しとかだと近しく感じるような、そんな感じ。
しかしわかりづらいあだ名が多い(ひどい)。
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HN:
Jane Na Doe(片手羽)
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性別:
女性
自己紹介:
片手羽の下の名前はいえなです。Twitterまとめ記事等ではしょっちゅう出ていましたが、
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
こちらやサイトで補足するのを忘れていました(~2011年9月19日迄)。
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